
Perio Workshop 歯周病の基礎・臨床・予防 昭和46年
財団法人ライオン歯科衛生研究所 PERIO WORKSHOP「歯周病の基礎・臨床・予防」に投稿した論文の要約です。
歯槽膿漏症治療におけるメインテナンス The maintenance phase of periodontal treatment
Ⅰ はじめに
歯周疾患治療に Maintenance あるいは Maintenance phase という字句が用いられるようになって、すでに20年になるが、その意味あい、用法ともに未だ誠に曖昧である。
治療処置の効果を不確かにしたり、失敗に終ることなく、全治に至るまで良導するための方策、つまり『処置を行なった直後から臨床的治癒までと、全治までの間再燃を防止し、効果を良導するための処置方策2,3,4,5,9)』という用い方と、『治療期間中、治療処置と並び行なわれる治療の一部面1)』という意味あい、また治療に成功し全治させ得たとしても極く短期間で再発するならば、折角の治療の成功も徒労に帰すことから、この『短期間で再発するのを防止する方策』としての用い方がある。つまり病因の再襲により発病することからのがれる方策4,5,12,13)で、衛生管理と再指導が内容であり、管理が行き届かないと指導が励行されなくなりがちだから励行されているかを管理するの意味で、処置の結果を良導する後処置とか、再発防止のための健康管理9,10)のように解釈し、主治医の行なう処置とだけ理解されたのでは全くの誤解である。また患者の治療に対する協力と解釈し、これなくしては歯周病治療は成功しないと強調してはいるが、一般的に家庭療法4,8)と訳されているために、我国の慣用、語感としては、素人考えで行なう治療類似の行為と受け取られやすい。
このように予防と治療の二つの異なる医療上の概念の区別が曖昧であったり、主治医の行なう処置と、主治医が患者に指示して守り行なわせる治療の重要な部分として、絶えず監督指導を繰り返さなければならない患者の行動とを混同しやすい。
「歯周疾患におけるメインテナンスとは」論文より抜粋
日本歯科医師会雑誌 昭和46年
Maintenanceを家庭療法というべきではない
一般に言われている家庭療法とは、医療に関係なく素人考えの療法をいうものである。
われわれの身近な歯みがきと歯肉マッサージなどで、すでに日常生活の中に一般化され、起床時の歯みがきは目覚まし・嗜みなど、情緒的な目的からもほとんど国民全員に行なわれるようになってきている。
しかしその方法は徹底を欠き、したがって予防・治療の効果は殆どあがっていないばかりでなく、かえって弊害さえも生じている。
つまりムシ歯予防と歯周疾患治療・予防の目的で、素人知識によって行なわれる”歯みがき”こそ、最も普遍一般化された家庭療法というべく、その効果の程も家庭療法を代表するものというべきであろう。ここで述べる医療として行なわれる歯面清掃・研磨・除石・歯肉マッサージを主とした歯周疾患治療の重要な処置、すなわちPhysiotherapyの延長として、歯科医師の指示に従って患者自ら行なう方法と手技Maintenanceも家庭で行なわれることが多いために家庭療法と混同され、誤用されていたきらいがある。
また最もその効果を期待したい期間だけを特にとりあげ、後療法=maintenance と理解されていたむきもあるが、時期と内容共に歯周疾患治療におけるメインテナンスという文字の解釈としては理解が足りないというより誤解であるというべきであろう。
木村吉太郎教授は昭和40年7月の日本歯科医師会雑誌に「歯槽膿漏症の家庭療法」と題して『家庭療法というが決して家庭における素人療法の謂ではない』と断り、『歯科医師の指示指導のもとに術者の行なう治療に協力すべく治療前・治療中・臨床的治癒後の後療法、全治後の再発予防の4段階の機会に患者自身家庭において自ら励行するhome care と呼ばれるものである』と丁寧に説明されている。とにかく治療に絶対必要な療養は適正確実に指導され、厳密に実行状態を確認点検の上にすすめられるもので、結果は総て指導医が責任を持たなければならぬなど、生兵法な素人療法即ち,家庭療法とは全く異なるものである。
自然にはなおらないムシ歯
暮らしと健康 昭和48年
『あんな患者こんな患者』に掲載するよう依頼されたもの
今まで40年間の患者録を前にしてみると、確かにいろんな思い出のある人たちが浮かびあがる。要約
どの人も、やっと思い切ってやってきた患者さんのように見受けられる。
歯の悪いのは自分でもわかる。素人考えでもほぼ間違いない。
だからといって、他の病気のようにどこが悪いんだろうと心配したり、気に病んだりすることはない。だけど、もう少し後で、今度痛んだらとか,時には歯の1本や2本くらい何とかなる。
悪くなっても充分治せる、と思い込んでいるらしい。そしてやっと治しにやって来られた患者さん達、ここでちょっと、ご自分の身体のことだから考えてみてください。
ほとんどの病気は、医者と薬の助けにより、自分の身体に備わった本来の力で治ってゆく。
だがムシ歯はそのようには治らない。どうしても自然に治ることはない(自然治癒能力の欠除)。
だから悪くなったところはほんの小さいものでさえ、1分間何万回も回転する刃物で削り取らなければならない。
削ったからといって、その削り取ったところは、いつまでたっても、皮膚のように薄皮一枚張るものではない。
そのままでは必ずまた痛んでくるし、一層悪化する。
だから削り取ったままの生身に人工物を継ぎ足して包帯のように、また自分の身体の一部として役立てるのがムシ歯治療である。
ムシ歯の治療は、いつも病人と歯科医師が直接触れ合い、精密な小手術に頼らなければならない。
その上、削ったところの補修が必ず必要で、これは出来合いが一つもない。
その時すぐに手作りで、世界に一つだけの、しかも精密な鋳物などを作りあげなければならない。
こんなものが他にあるだろうか、こんなに高くつくものが他に考えられるだろうか。
他方、歯槽膿漏になると、歯をしっかり支えている顎の骨が、次第に消え失せて歯が宙に浮いたようにぐらついてくる。
そして無キズのまま抜き去られたり、抜け落ちたりする。
歯は30本ほどが一組になり、丁度石垣のように支え合いながら、それぞれの役目を果たしている。石垣の石が一つ抜けても必ず崩れていくように、ムシ歯で穴があいたり、歯槽膿漏か何かで抜けたりすると、できるだけ早く完全に補修をしないと、食べ物が噛めなくて、美味くなくなるだけでなく、総崩れになってくる。
だから、簡単に一本でも抜かないようにしなければならない。今は少々悪くても何とかやっていけるとしても、みんな日一日と年をとる。
現在1,000万人の老人と30万人以上の寝たきり老人がいる。
その人たちはみんな良く噛めないために、たった一つの食べる楽しみすら満たすことができないで、食べ物を見るたびに辛く情けない思いで過していると考えてみたら……。
何とか治せる、元のように治療できると考えておられる患者さん。
医者はあまり信用しないが医学は信頼している。つまり科学を過信しているのではないかと思われるような患者さん。なるほど科学は日常の生活に大変な便利さを与えてくれている。
月世界へも往復できるし、オリンピックや世界情勢も茶の間に居乍ら気楽に衛星中継で、その時すぐ見ることもできる。
しかし、自分で今すぐ月旅行ができるわけでもないし、それどころかジェット機でアメリカまで行くことさえ難しい。
それにも増して絶対にできないのは師走の風に舞い落ちる一枚の木の葉、そのものを作ることも、緑の若葉に戻すことなど絶対不可能なのだ。科学の限界と、今自身が利用できる科学の範囲を知らなければならないのではないでしょうか。
出来るだけ早く治療すること、それも痛みが感じてからでなく、「定期検診によって見つけ、早期治療に踏み切ること」だけが「最も良い治療を可能にする」と信じて間違いないのではないでしょうか。
とにかくどの人も「歯は大切だから、ちゃんと治してくれ」とおっしゃる。
しかし、私から見れば、あまり大切にしているとはどうにも思えない。
本当に大切と思うなら、もっと予防に心がけていいはず。
「予防を考えるからこそ、毎朝必ず歯を磨いているんだ」、それはよく分かる。
それでも次々にムシ歯ができる。そこからが問題で、歯磨きはコマーシャルのように本当に予防に役立つのだろうかと疑ってかかる人や、自分の磨き方が不十分ではなかろうかと考える人はほとんどいない。
きれいに気持よくするだけでなく、ほんの少し気をつけて、正しい歯の磨き方をすればムシ歯も歯槽膿漏もほとんど予防できるんだが……
出来てしまった病気の治療だけで、もうどうにも手が回らない現在、医者も歯医者も2倍にしようと慌てている現在、加速度的に増える病気をそのままにして、いつになれば辻褄が合う時がくるのか。
悪循環を断たねばならぬ。自然破壊や公害と同じように。
保健同人発行『暮らしと健康』第28巻12号(昭和48年12月1日)
「食生活と身体の退化」
ー歯科臨床を通しての健康作りのためにー特集 国民健康づくりを考える 昭和54年
はじめに
私たちは健康でいるときには、病気のこと、病人のことなどをほとんど考えない。
病気になると、ある日突然に病気に取り憑かれたと思い、健康のありがたさを感じる。
幸いにして回復すれば、喉元すぎれば何とやらで苦痛も悩みもやがて忘れ、同時に健康のありがたさも感じなくなってしまう。
そうして、それが繰り返された時には、不治の大病を患う。パーシャルデンチャーの考え方と処置方針 昭和55年
ペリオの問題を抱えたパーシャルデンチャー
はじめに
歯牙の健康回復と保持増進をはかることと、喪失した歯列部分をパーシャル・デンチャーによって補綴することにより咀囃能力などを回復させることは、身体的、精神的、社会的健康を回復、保持、増進することであり、根元的重要不可欠な医療処置である。
しかし、パーシャル・デンチャーは、往々にして軽く扱われ、別におかれたり、しばしば省かれたりさえされている。その結果、残存歯の健康を害し、ひいてはパーシャル・デンチャーを無用、有害なものとまでにする場合が多い。
残存歯の健非は、パーシャル・デンチャーの医療効果を左右し、パーシャル・デンチャーはまた、残存歯の健非を決定する。しかし両者を支配するものは患者自身であり、医者はそれを助けるだけでしかない。歯と文明
愛育 恩賜財団母子愛育会 昭和56年6月
歯科臨床医として近年特に気になることは歯列の不正である。下顎が上顎よりも前に出ていたり、上顎の糸切り歯が、鬼歯といわれるように歯ぐきの上の方から外向きに生えていたり、また前歯がひどく重なり合うように生えているとか、奥歯が歯並びから全然はずれて内側に、まれに外側に出てしまって、上下すれ違いのように愉み合わなかったり、それこそてんでばらばらの状態の子供が10人中、5、6人までのように見受けられる。
このような歯列不正は、40〜50年前までは、鬼歯、八重歯、受け口などと呼ばれ、珍しいものであった。戦前、戦中、戦後の各時期に、小、中、高校の口腔検査を受け持った経験から、この歯並びの不正が次第に増えていることを感じてはいたが、ここ数年、今さらのように、その度の進み方と増え方のひどさに驚かされる。
歯列不正は口腔破壊のもと生え変わった歯が歯並びと噴み合わせの悪さから、洗ってもうがいをしても食べかすが滞るために、必ずといえるほどに次々にできるムシ歯と歯槽膿漏の、またそれゆえに治療もしにくいし、努力して治しても所詮自分の体の力で自然に元通りに治ったのとは全く異なり、病因をそのままにしての人工物での繕いをしただけの歯科治療であるからには、必ずまた悪くなる。くり返し治療しながらも遂には技けてしまい,入れ歯の厄介になり,年々歳々のようにやりかえが行われ,次第に抜けて一本無しになり,総入れ歯がまた工合悪くなって,何度も何度も作り変えられる。平均寿命70歳過ぎまでのそのおぞましさ。
今は子どもの、この人達のこれからの一生が思われ何とも気が重い。
意図的教育と無意図的教育
成熟者が未成熟者の精神生活を陶冶するために行う計画的活動を教育といい、教育は常に意図的、意識的な意欲の仕事であり、教育は計画に基づくものである。
そしてこのような教育のあり方を意図的教育、あるいは形式的教育と呼んでいる。一方、このような、人を教育しようとする意図がなくても社会生活そのものが、おのずから人間を作る場合がある。
すなわち現代の社会では、牧治、経済、習慣、流行、さらには、ラジオ、テレビ、映画、新聞、出版物などのマスコミによって人が欲すると欲せざるにかかわらず、その中に生存せざるを得ない限りにおいては、この影響は予想以上に大きなもので、特に青少年には強い影響を及ぼしていることは否定できない。
教育は人類においてはどこにも、いつでも行われている精神的な根本権能であり、この種の教育を無意図的教育、あるいは非形式的教育と名づけている。実際は、意図的教育と無意図的教育とは関連し合って人間に形成的作用を及ぼしている。
ゆえに、その人が一緒に活勤し生活していくうちに、知らず知らずに互いに影響され合って、何らかの方向に形づくられる。語録
歯界展望 昭和52〜55年
余滴 11編 昭和52年
歯界展望 : 第49巻 第1号 昭和52年1月
歯界展望 : 第49巻 第2号 昭和52年2月
歯界展望:第49巻 第3号 昭和52年3月
歯界展望:第49巻 第4号 昭和52年4月
歯界展望:第49巻 第6号 昭和52年6月
歯界展望:第49巻 第5号 昭和52年5月
歯界展望:第50巻 第2号 昭和52年8月
歯界展望:第50巻 第3号 昭和52年9月
歯界展望 : 第50巻 第4号 昭和52年10月
歯界展望:第50巻 第5号 昭和52年11月
歯界展望:第50巻 第6号 昭和52年12月
別室 Sympathy と Empathy 昭和53年
医療者の日常に、患者との面接は不可欠な問題であり、したがってその効果を左右する要素は重大な関心事である。その一つとしてラポールの形成について考えるうちに、Sympathy と Empathy の言葉の概念の理解について吟味が必要になった。
誌友サロン 私のなかのガウディ
昭和55年
町の開業医は、日ごろ仕事でいろんな多くの人と知り合う。特に歯科の臨床は,長いお付き合いが多い。
仕事は実に緻密、繊細な手仕事で、そのうえ一度冒された組織は自然回復しないので、その修復のためには、機能に根ざす全生命体的、動的な、だからこそ美的センスが要求される。したがって、おのずと手工芸作品に対して興味をもつ、というよりも、共感する場合がしばしばである。
アントニオ・ガウディ(1852~1926)という建築家とその作品を知ったのは、12、3年前、医院改築の設計の相談相手が、セザール・マルチネール著1967年発行のA4版 523 頁のスペイン語版『Gaudiの理論と作品ーその生涯について』をみせてくれたことに始まる。
歯界展望 第56巻第3号 昭和55年9月